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でじたる雑記  2004/07

毎年7月はツール・ド・フランスTV観戦日記になります。(笑)

2004/07/04 (日) bookmark ツール・ド・フランス2004開幕

今年もツール・ド・フランスが開幕した。フランスを三週間で一周する世界最高の自転車ロードレースだ。自転車ロードレース競技は日本ではあまり馴染みが無いが,ヨーロッパではサッカーに次ぐ人気スポーツである。実際レース形式の競技では見ていて一番面白いものだと思う。

今年のコースはスタート地点がベルギーのリエージュで,最初の数日間はベルギー内を走ってからフランスに入るようになっている。初日のプロローグではファッサ・ボルトロに所属する若いスイス人カンチェラーラが優勝した。ツール初参戦の無名に近い選手だが,この一日で世界中の自転車レースファンがその名前を記憶することになった。将来が楽しみな新人だ。

チャンピオンのアームストロングはこの日は2秒差の2位。アームストロングはタイムトライアルに強いというイメージがあるが,実際にはプロローグでは過去にも優勝を逃していることが多い。もちろん体調を崩していた昨年は別として例年2位〜3位には確実に入っている。総合優勝に向けて準備は万全であることを今年も見せつけたことになる。前人未到の6連覇に向けてまずは無難な立ち上がりだ。

はたして6連覇は達成されるのか。それとも長年のライバルであるウルリッヒがタイトルを奪還するのか。もしくは全く新しい若い力が台頭するのか。今年も楽しみな季節がやってきた。


2004/07/07 (水) bookmark 第1〜第3ステージ

今年の序盤3ステージはベルギー領内で一部フランス領に入ったりしながら平地のコースで競われる。3日ともレース中盤から少数の選手が逃げ出しては結局集団に捕まり,最後はゴールスプリントという展開になった。ゴールを制したのはそれぞれキルシプー,マキュアン,ジャンパトリック・ナゾンというおなじみのスプリンター達だ。昨年圧倒的な加速で大暴れしたペタッキは,体調が悪いのかすっかり争いに絡めなくなっている。特に第3ステージではなんと72位に沈んでしまった。ちょうどJSPORTSの放送ではこの日のペタッキの順位をクイズにしていたが,これでは正解者はゼロだろうな。

また,第3ステージでは総合優勝候補の一人であるエウスカルテルのイバン・マヨが,途中のアクシデントで大きく遅れるという結果になってしまった。こんな事でアームストロングのライバルが一人脱落するというのは非常に残念だ。仕方のないことだが。

2004/07/08 (木) bookmark チーム・タイム・トライアル

昨日のクイズだが,なんと正解者が2人も居たそうだ。う〜む。お前ら何考えてんだよ。(笑)

第4ステージは毎年恒例のチームTTだ。悪天候の中行われたが,大方の予想通りUSポスタルの圧勝で終わった。アームストロングが連覇を始めた最初の数年は,USポスタルは決してこのチームTTを得意とはしていなかった。しかしここ数年はトレーニングを積み重ねて緻密に計算された走りのできるチームを作り上げてきており,昨年は初めて勝利している。今年も2位に1分以上の大差を付けた圧勝だ。

実際,その走りは他のチームに比べても実にスムーズだった。チームTTでは平地のタイムトライアルが得意な選手も不得意な選手(こういう選手は山岳で強い)も混ざったチームで一緒に走るので,平地が得意な選手が長い時間先頭を引き,不得意な選手は短い時間だけ先頭を引くという最適化を行うことで全体のスピードをより高速に維持できる。一言で言えばチームワークだが,こういう最適化された走りはなかなか簡単に身につくものではない。しかもゴールした瞬間,USポスタルの各選手の表情には余裕の笑顔さえあった。体力の消耗を最小限にした上で他チームより高速に走るという離れ業を実現できたということだ。

今年から各チームのタイム差が所定の秒数以上の場合,それ以上の差をつけないというルール改訂が行われた。例年チームTTの得意なチームがあまりに有利になりすぎてレース全体がつまらなくなるという声に配慮したものだ。たしかに効果はあったが,それでも総合成績ではUSポスタル勢が上位を独占する結果になっている。もちろんマイヨジョーヌはアームストロングだ。

とはいえ,もうしばらくは平地のステージが続くので,USポスタルは当面はこのマイヨジョーヌを守ることには執着しないと考えられる。勝負所は例年通り,最初の山岳ステージになるのだろう。

2004/07/09 (金) bookmark 先行逃げ切り

昨日のチームTTだが,ルール改訂で1位のチームと2位のチームのタイム差が20秒以上ついた場合は差を20秒とし,3位以下もそれぞれタイム差の上限を細かく設定されたシステムに変わった。もちろん昨日も書いたようにこれはチームTTによって大差が付いてレース自体が面白くなくなるという批判に対応したもので,実際うまく機能している。

昨日,サエコチームは9位でゴールしたのだが,本来2分36秒遅れのところを上記の救済ルールで1分30秒にタイム差が短縮された。ところが実はゴール直前でエースのシモーニが落車したため,チームはシモーニを置いて先頭5人が先にゴールしている。上記救済ルールはチームで同時にゴールしたメンバーにしか適用されないため,シモーニはそのまま2分42秒遅れという大きなタイム差を付けられてしまった。

昨年ジロ・デ・イタリアを制したシモーニはサエコのエースであり,アームストロングと総合優勝を争うライバルの一人である。チーム自体もシモーニの総合優勝が最大の目標であるから,ゴール直前でシモーニが落車した時,たとえ数秒のタイムロスがあってもシモーニを待って一緒にゴールするのが正しい判断だったのだ。

もちろん例年通りのルールだったら,シモーニを置いて先にゴールする判断は正しいものだった。ルール改訂直後ということで,咄嗟にどうするのが正しいのか分からずに判断を誤ってしまったわけだ。ともかくこれでシモーニは総合優勝争いにおいてかなり大きなハンデを背負ってしまった。先日のマヨの件といい,こういうつまらないミスで総合優勝候補が脱落していくのはなんとももったいないことだ。


第5ステージは再び平地のコースだが,大雨が降る最悪の天気になった。レースは序盤から逃げ出した5人の先行グループ内で争われることになった。5人の中に総合優勝争いに絡んでくるような有力選手が居ないし,雨で落車事故が非常に多発していることもあって後方の大集団は先行グループを追うのをあきらめたのだ。

先行した5人の中では,オグレディ(今年コフィデスに移籍)のスプリント力がずば抜けている。このため他の4人はゴールスプリントになる前に仕掛けて逃げなくては勝ち目が無い。しかしもちろんオグレディもそのあたりは承知しており,巧みに逃げを封じ込めてゴールスプリントに持ち込み,勝利した。マイヨベール争いにいつも絡んでくる名スプリンターだけに,ゴール前での駆け引きは実に巧い。

先行グループと大集団に大きなタイム差がついたため,総合成績の上位にもこの5人の名前が並ぶことになった。5人の中で昨日まで最も総合成績の良かったヴォクレー(ブリオッシュ・ラ・ブランジュール所属)がマイヨジョーヌを獲得した。

ヴォクレー(VOECKLER)は現フランスチャンピオンであり,国旗を元にデザインされたフランスチャンピオンジャージを着て走っていた。後方大集団が追うのをあきらめた時点で,このままゴールするだけでマイヨジョーヌが転がり込んでくることは分かっていたはずだ。だが彼はそれだけでは満足しなかった。何度も仕掛けてこのステージの勝利も獲得しようと必死に頑張った。結果的にそれはかなわなかったが,その熱い走りは多くのファンを魅了したと言える。まだ25歳と若いため,この日はマイヨブランも同時に獲得している。初日に活躍したカンチェラーラ共々,将来が楽しみな若者だ。

2004/07/10 (土) bookmark 落車

昨年第1ステージでハミルトンが骨折した大きな集団落車があったのは記憶に新しいが,今年のツールは落車が非常に多い。雨が多いということもあるのだろうが,例年より異常に落車が多い印象がある。

第6ステージも6人ほどが先行して大集団が追う展開となった。少しずつ脱落者も出たが,残り1km地点まで頑張ったフレチャ(ファッサ・ボルトロ)の走りが印象深かった。結局最後は集団ゴールスプリントになったのだが,残り1km地点をわずかに過ぎた地点でまたも大規模な落車事故が発生。巻き込まれたスプリンターも多かったため,ゴールスプリントは少数での争いとなった。最終的に勝ったのは23歳のボーネン(クイックステップ)だ。若手の台頭が著しいのも今年のツールの特徴と言える。

その一方で,昨年4勝と大暴れしたペタッキ(ファッサ・ボルトロ)と,かつて最強スプリンターとしてツールに君臨していたチッポリーニ(ドミナ・ヴァカンツェ)が共にこの日は出走せずリタイヤとなった。もちろん落車事故の影響で体調を崩したという理由だが,共に気分屋なので自分の調子が悪くて勝ち目が無いと悟るとさっさと去って行ったということだろう。主催者の期待した新旧スーパースプリンター対決は空振りとなってしまったが,その代わりに若手の台頭でスプリンターたちの戦いは面白くなってきている。

2004/07/12 (月) bookmark 若手の台頭

第7ステージはゴール間際でのアタックが成功してポッツァート(ファッサ・ボルトロ)が勝利。右腕の「キアラ」という入れ墨は恋人の名前のカタカナ表記をチームの日本人スタッフに教わったものだそうだ。まだ22歳(今大会最年少)なのにいいのかそれで?(笑)

第8ステージは集団ゴールスプリントになったが,ゴールが若干上り坂になっているためいつもと少し様相が違った。スプリンターの中でも上りゴールに強い選手と苦手な選手が居るためだ。結局ハスホフト(クレディ・アグリコル)がキルシェン(ファッサ・ボルトロ)をかわして勝利した。ノルウェーチャンピオンジャージがルクセンブルクチャンピオンジャージを差すという映像的にも面白いシーンだった。

ハスホフトは26歳とやはり若い。クレディ・アグリコルにはずっとオグレディというスプリンターが居たのだが,今年はオグレディを放出してハスホフトをメイン・スプリンターに昇格させた。この日はエースのモローまで集団を引いてハスホフトの勝利に貢献していた。チームとしては一向に調子の上がってこないモローの総合優勝争いよりも,若くてイキのいいハスホフトでステージを取りにいくことを選択したわけだ。

12日は休息日なのでレースは休み。その翌日からいよいよ山岳ステージだ。アームストロングは例年,最初の山岳ステージで2位以下に大差を付けて圧勝することでマイヨジョーヌを獲得し,パリまで守り通すという展開を基本戦略に据えてきた。今年も当然そういう戦略で来るものと考えられる。若いヴォクレーがどこまでマイヨジョーヌを守りきれるか。若いだけに力も未知数なので興味深い。

2004/07/14 (水) bookmark あと25メートル…

休日明けの第9ステージは平地とも山岳ともつかない起伏。翌日からの本格的な山岳ステージの前哨戦だ。レースは40km地点からランダルセ(エウスカルテル)とシメオーニ(ドミナ・ヴァカンツェ)の2人が逃げる展開となった。ゴールが近くなると後方大集団もペースを上げるが,意外に差が詰まってこない。ラスト1km地点でもまだ15秒の差があった。ぎりぎり逃げ切れそうな展開だ。しかし逃げ切れそうだとなると今度は2人の間での争いになる。相手を先行させて風よけにして体力を温存し,ゴール直前で飛び出して差しきるのが有利な戦い方だが,互いにそれをやろうとすると牽制しあってペースが遅くなる。ステージ2位にほとんど意味が無い以上,仕方が無いのだが…。牽制しあっている余裕のあるタイム差ではなかった。

怒濤の勢いで押し寄せる大集団。ゴール手前25メートルでついに2人とも大集団に飲み込まれた。延々125kmを頑張って逃げたのに,あとわずかという所ですべてを失ってしまう。これもロードレースだ。

結局いつもと同じ集団ゴールスプリントとなり,ハスホフト,マキュアン,オグレディの3人が横一線でゴール。ほんの数センチの差で競り勝ったのはマキュアンだった。通常,車輪半分の差でも選手たちには誰が勝ったか分かるので,勝者はすぐにガッツポーズを取るのだが,この日は誰もガッツポーズを取らない。選手たちにも分からないような本当の僅差だった。

マキュアンは今大会2勝目で,マイヨベールをこの日も守った。この日最後を争った3人はそれぞれすでに1勝しており,スプリンターたちの中でも特に調子が良い選手たちだと言える。その一方で予想外なのが昨年マイヨベールを最終的に獲得したバーデン・クック(エフデジュー)の不調だ。今年はゴールスプリントにほとんど絡んで来ていない。

2004/07/15 (木) bookmark 山岳ステージ

第10ステージはいよいよ本格的な山岳ステージだ。山岳ポイントがカテゴリー1のペイロール峠を筆頭に9つもある。しかも237kmと今大会最長の過酷なコースだ。

レースは36km地点から飛び出したヴィランク(クイックステップ)が201kmを逃げきって優勝。9つすべての山岳ポイントを1位通過で荒稼ぎして山岳賞ジャージ(マイヨブラン・アポアルージュ)を獲得した。ヴィランクはアクセル・メルクス(ロット・ドモ)と2人で逃げたのだが,山岳ポイントはヴィランクが先頭で,スプリントポイントはメルクスが先頭で通過するという具合でお互いに助け合った。しかしペイロール峠の手前でメルクスはヴィランクに付いていけなくなり,結局は大集団に吸収されている。

総合優勝候補のアームストロングやウルリッヒ等は今日は動きを見せず,静かにヴィランクの逃げを容認した。ヴィランク自身も山岳賞にしか興味は無いと公言しているし,実際総合優勝に関しては脅威となる選手ではないという評価が定着しているためだ。一方,マイヨジョーヌを着ているヴォクレーは今日も表情は苦しそうだったが,結局は集団の先頭にくらいついて5位でゴールし,マイヨジョーヌを守った。山岳もそこそこ走れるということが分かったので,今後が楽しみだ。

2004/07/16 (金) bookmark また宮崎へ

この7月は父が亡くなってから16周年にあたる。つまり十七回忌だ。16年前,父は趣味の海釣りに出かけたまま海難事故で行方不明になり,結局遺体も上がらなかった。このため7年目に失踪宣告による死亡認定を出したという経緯があり,十分に弔ってやれなかったという思いがある。母のこともあるし,今回はきちんと法事をして弔ってやりたいと兄が言うため,今月もまた宮崎に帰ることになった。

法事は7/17だが,さすがに学校関係が夏休みに入るため安いパックツアーがなかなか取れない。結局パックツアーではなく飛行機と宿とレンタカーを別々に手配することになった。お金がかかって大変だが仕方がない。もっともパックツアーで無い分,宿やレンタカーなどは自由に決めることができる。宿は全室ブロードバンド環境がある所ということでホテルJALシティ宮崎にした。他にもいくつか候補はあったのだが,場所が悪かったり朝食メニューがショボかったりするので一番まともそうなここを選んだ。レンタカーはトヨタレンタリースを使ってみることにした。他社より少し割高だが大きな差があるわけでは無いし,カーナビが純正品なので旧式のヘンな物をあてがわれる心配も無い。電話で確認したところ,ヴィッツならCDプレーヤーもちゃんと付いているという話だったので,ヴィッツを予約した。

飛行機は比較的安いスカイネットアジア航空(SNA)で,10:00発のSNA113便だ。朝早く7時過ぎに練馬を出発して羽田に向かった。大江戸線の中では隣に座った女性がずっと念入りに化粧をしていた。付けまつげって接着剤のようなもので止めるんだなということを初めて知った。どうでもいいことだが。(笑)

大門で乗り換えて京急線で羽田に付き,搭乗手続を済ませる。SNAを使うのは初めてだが,搭乗券はバーコードその他を印刷した普通の白い紙だった。まあ数年前に乗ったスカイマークはレシートのような薄い感熱紙だったからそれよりはマシか。手続きを済ませたら少し時間があったので空港内のうどん屋で食事を取る。出汁は関西風だが,麺がふやけた感じであまり美味しくはなかった。禁煙席が無いのも困ったものだ。

飛行機はB737-400型。古い小型旅客機で,機内にはテレビや音楽のサービスも無い。大手航空会社ではすでに後継のB757へのリプレースが進んでいるため,安く調達できたということなのだろう。台風も来ておらず天気が良いので問題なく宮崎に到着した。

レンタカーは申し込み時に利用航空便の番号を記入する欄があったので,気を利かせて時間には迎えに来てくれるのかと思ったが,そういうわけではないようだ。結局空港から電話して迎えに来てもらった。車は白いヴィッツで,カーナビはトヨタ純正品だ。CDベースの物なので情報量は少ないようだが,レスポンスは悪くない。借りる手続きを済ませてすぐに市街地に向かった。

まずは昼食をということで,ガイドブックに載っていた「いせえび料理よしき」に向かった。ここの名物ランチは「びっくりえび天丼」ということだが,刺身も食べたかったので「よしき定食」という刺身や天ぷらなどの定食にした。まずまず美味しかったが,天丼の方が良かったかもしれない。

昼食を終えると13:30頃になっていた。ホテルのチェックイン時間は14時以降だが,とりあえず行ってみることにした。時間前でも部屋の準備ができていれば入れてくれるホテルも多いからだ。立体駐車場に車を入れて,フロントでチェックインできるかどうか聞いてみる。調べてみると部屋の準備はできているということなので,手続きをして部屋に入った。部屋は23.5m2のツインルーム。前回泊まったシェラトンに比べると半分以下の広さだからやはり狭く感じる。もっとも基本的に寝るだけの場所なので問題はない。新しいホテルなのでインテリアも新しくて清潔感がある。何より市街地の中心部にある利便性が大きい。

壁際に据えつけられたデスクにEthernetと電話線のコンセントが付いていた。さっそく持参したEthernetケーブルでノートPCを繋いでみる。DHCPでIPアドレスを貰い,Webページの閲覧もサクサクと軽快に動いた。測定してみると下り13Mbps程度出ていて,十分な高速環境だ。

一息ついたところで兄に電話する。兄はすでに宮崎入りして昼間は仕事をしており,兄の家族は夕方の便で来るそうだ。夕食を一緒にということになった。夕方まで何も予定が無いのだが,観光に出かける気もしないのでとりあえず町中に出てみることにした。ボンベルタ橘というデパートに入っていろいろと見て回った。このデパートは元々は「橘百貨店」という地元資本の老舗だったのだが,経営不振で大手スーパーのジャスコの傘下に入り,「橘ジャスコ」と名を変えた。その後「ボンベルタ橘」という名前に変わって再スタートしたのだが,ジャスコから発展したイオングループの傘下にある点は変わらないようだ。

その後,前回も行ったフルーツ大野でパフェを食べた。マンゴーパフェとメロンパフェを食べたのだが,マンゴーパフェは前回とは少し果物の構成が違っていて,赤いドラゴンフルーツの小片もはいっていた。時期によっておいしい果物を選んで入れているということだろう。宮崎産マンゴーや生クリームの絶妙な旨さは相変わらずだが,今回は一粒だけ載っていたピオーネがとても旨くてびっくりした。帰り際に商品の棚を見るとそのピオーネが一房680円で売っていた。これは安い。後でホテルで食おうということで買って帰った。

マンゴーパフェ
マンゴーパフェ (参考:先月のマンゴーパフェ
メロンパフェ
メロンパフェ

ブドウを持ってうろうろするのも何なのでいったんホテルに戻ることにする。コンビニに寄ってお茶の類を買おうと一番街からコンビニに向かって歩いていたのだが,よく考えたらボンベルタの地下食品売り場でも買えるじゃないかということで,ボンベルタに引き返した。ついでに4階の売り場にも寄って入浴剤等も買った。ホテルに戻って少し休んでいたら時間になったので,夕食の店に向かう。「よし信」という最近出来た寿司屋だ。店に着いたら義姉と甥っ子たちだけが居た。兄と兄の友人のK夫妻は少し遅れるということなので,先に刺身などをもらって食べながら待つ。やがて兄たちも合流して,美味しい魚介類を食べながら歓談する。価格もそれなりに高い店だが,ほんとうに美味しい海鮮を沢山食べることができた。

23時近くになってお開きとなり,ホテルに戻った。明日の法事は11時開始なので,すぐに風呂に入って早めに就寝した。

2004/07/17 (土) bookmark 十七回忌

8時過ぎに起床し,ホテル1階のレストランに朝食を食べに行く。朝食はバイキング形式で和食と洋食の料理が並んでいた。アメリカンブレックファストの構成で朝食を食べる。味は可もなく不可もなくといった印象。デザートを取りにいったら,和食の方に郷土料理の冷や汁があったのでそれを取ってきて食べた。まずまず美味しかった。

食後は部屋に戻り,礼服に着替えて実家へ向かった。実家で弟を車に乗せ,菩提寺である直純寺に向かった。前回見かけた薄汚れた三毛柄の雑種猫は今回も居た。日陰の石の上で丸くなっている。相変わらずやせているがこの暑い中を一カ月無事に生き延びているのだから心配は要らないようだ。

本堂で時間通りに法要を始める。今回は親戚は呼ばなかったので家族だけでの法要となった。16年前のあの日もこんなよく晴れた暑い日だった。海で居なくなったものを見つけるのがいかに困難な事であるか,そして悪意の有無にかかわらずデマというものはこういう風に作られるのだなとか,いろいろな事を学んだ日だった。

法事も無事に終わり,皆で墓参りに行った。炎天下を雑草の茂った墓地に行き,先月に続いて両親と祖父母に報告をする。先月活けておいた花はすでに無く,違うものに変わっていた。親戚の誰かが来たのだろうか。先月使ってそのまま火を消して立てておいたローソクは暑さでぐにゃりと曲がっていた。真夏の直射日光はとんでもないな。

大宮小学校の近くにあるレストランで昼食を取り,兄一家と別れた。かなり疲れているし,暑苦しい礼服も早く脱ぎたいのでとりあえずホテルに戻る。14時前だが,まだベッドメイク等がされていなかった。おかしいなと思ったが,とりあえず着替えて一休みしていると,しばらくして係の人たちがきてベッドメイクを始めたいと言ってきた。仕方がないのでとりあえずロビーに行って終わるのを待ちながら,これからどうするかを検討した。

猛暑の続く炎天下の中,観光に出かける元気も残っていない。結局再び部屋に戻って軽く昼寝をした。ちょうど夕方にテレビで「愛のエプロン」をやっていたので,昨日買ったピオーネを食べながらこれを見てくつろぐ。夕食は久々に宮崎牛を食べたいということで,市内の有名な焼肉屋では一番近くにある「焼肉レストランAPAS」に電話して席を予約した。農協系の会社が運営している宮崎牛専門店だ。18時すぎからということで席を確保できたので,着替えて歩いて行く。APASはボンベルタの近くの旧西村楽器ビルの地下にある。店に入ったらすでに満席になっており,やがて待ち行列ができ始めた。予約しておいて正解だったようだ。

宮崎牛のカルビ・ロース・ハラミが食べられる特選コース(3,800円)を注文した。宮崎牛の肉質は柔らかくて美味しい見事なものだ。美味しい焼肉を腹一杯食べることができた。東京ではこんな値段ではとても食えないよな。

1時間ほどで食べ終わったので店を出た。19時を過ぎているがまだ外は明るい。まっすぐ帰るのも何なので,昨日は行かなかったもう一つのデパート「山形屋」に行ってみた。こちらは鹿児島を本家とする地元資本の老舗百貨店だ。大手スーパー傘下のボンベルタよりは格式は上と言える。1階の入り口から入るとすぐに4℃のアクセサリーショップがあった。こんな所にもあるんだねと話しながら他の階も見て回る。地下の食品売り場では美味しそうな野菜をとても安く売っているのが印象的だった。

ホテルに戻って一息ついたら,温泉に行こうかという話になった。市内の大淀川沿いにあるホテル群には「たまゆらの湯」という温泉があるのだ。もちろん宮崎市は火山帯から遠く離れた平野部にあるのだが,沖積平野を深く掘ると温泉が湧くという事実は近年良く知られるようになってきている。ここもそういう理屈に沿って近年開発されたものだ。泉質はナトリウム塩化物泉で肌への刺激も少なく安心して入れる。

時刻はもう21時を過ぎていたが,Webで調べたところ各ホテルの温泉は22時で営業を終了してしまう所が多い。しかしその中でホテルプラザ宮崎だけが23:30まで温泉を営業しているので,そこに行くことにした。ホテルプラザ宮崎の駐車場は満車のようだったので,隣にある有料駐車場に車を入れた。料金は1時間で200円。市街地にはいたるところに有料駐車場があるが,どれもあきれるほど安いため路上駐車はほとんど見かけない。土地が余ってるんだよな。(笑)

温泉の受付で1,000円の日帰り入浴チケットを買って入場する。タオルとバスタオルのセットを貸してくれるので,手ぶらで行っても問題ない。温泉は露天風呂やジャグジー,サウナといった定番の構成で広々としていた。もっとも露天風呂は上に窓があるだけであまり露天という雰囲気ではなかった。ビルの谷間にある以上,仕方がないのだが。サウナは普通のものに加えてミストサウナがあった。35〜38度にキープされた室内にずっと霧が吹き出して湿度100%の環境を提供するものだ。これがなかなか気持ちよくて,しばらく入り浸っていた。

風呂から上がって少し休憩してから駐車場へ戻り,車に乗った。宿に帰る前に少しドライブをしようという話になり,海側の一ツ葉有料道路に向かった。この有料道路は高速道路ではないが,海岸線をずっと南北に走っている。日中走ると海が見えて爽快なのだろうが,夜中では何も見えないただの暗い道だった。(笑)

一ツ葉有料道路を北上し,シーガイアの脇を通過して有料道路の終点まで行く。ここから県道に入って西都方面を目指した。西都まで伸びている東九州自動車道を南下して,清武ジャンクションから九州縦貫自動車道経由でぐるっと回って帰ろうというプランだ。無事に西都インターを見つけて東九州自動車道に入ったが,これがとんでもない道だった。何十kmも延々と片側1車線の対面交通の道が続いている。路肩も狭い。もちろん時々エスケープゾーンはあるし,途中のインター付近の数kmのエリアには一応追い越し車線もあるのだが…。こんな怖い高速道路は初めて走った。

東九州自動車道は福岡〜大分〜宮崎〜鹿児島と九州の東側を結ぶ遠大な高速道路計画なのだが,現時点では宮崎〜西都間などいくつかの区間が部分的に開通しているだけに過ぎない。おそらく「すでに着工した」という既成事実を作るためにこういう安い道路を作ったということなのだろうな。元々宮崎〜西都間では交通量も少ないし,下の国道が十分に整備されているのでこの区間だけでは高速を使う意味はほとんど無い。

清武ジャンクションから九州縦貫自動車道に入り,空港近くの宮崎インターで降りてホテルに戻った。すでに23:30頃になっていたが,帰り着くと駐車場の前に車が並んでいる。実は出る時にもイヤな予感がしていたのだが,案の定,駐車場が満杯で待ち行列ができているようだ。とりあえず表に廻ってフロントに行き,どうすれば良いのか尋ねてみた。フロントの話では今日は車で来た宿泊客が多くて駐車場に入りきれない状態になっているのだそうだ。どうすればいいんだと聞くと,車を待ち行列に並べて,フロントに鍵を預けてくれればこちらでなんとかしますと言う。他に選択肢も無いのでその通りにして部屋に戻った。温泉では髪を洗わなかったので,シャワーを浴びてから就寝した。

2004/07/18 (日) bookmark 西都原古墳群

遅めに起きて1階のレストランで朝食を取る。今日は和食にしてみた。納豆などもあったが,やはり冷や汁だ。猫まんまみたいな安っぽい郷土料理だが,子供の頃から慣れ親しんだ味なので好物である。朝食を済ませると部屋に戻って荷造りをした。今回は2泊3日の予定なので今日が最終日だ。前回は日南海岸に行ったので,今日は西都原古墳群を見に行くことに決めた。チェックアウトの手続きをして駐車場に向かう。車は立体駐車場の3階に停めてあった。昨晩どこにあったのかは知らないが…。

西都原に行くにはホテル前の国道10号線を北上し,国道219号線に入ってさらに北上すれば良いだけなのだが,昨日走った一ツ葉有料道路を昼間走ってみたいということで海側に向かった。昨日と同じルートで一ツ葉有料道路を北上する。途中に「みやざき臨海公園」があるので少し寄り道をすることにした。ここは人工浜の海水浴場とヨットハーバーや展望台などがある公園だ。元々一ツ葉の浜は急に深くなる地形で危険なため海水浴場は作れなかった。僕らが子供の頃は海水浴というとわざわざ青島や日南方面まで行っていたものだ。しかしシーガイアの近くに海水浴場が一つも無いのはリゾート地としては問題なので,埋め立てて囲うことで人工のビーチを作ったということらしい。展望台から海を眺めたりしたが,炎天下でさすがに暑いので早々に退散した。

展望台からの眺め
展望台からの眺め
宮崎港方面
宮崎港方面

再び一ツ葉有料道路に戻り,昨夜とほとんど同じルートで西都方面へ向かった。西都原古墳群は広大な領域に大小311基の古墳が散らばった国内有数の大古墳群だ。実際には古墳の間にまだらに農地が作られている。一番大きい古墳は男狭穂塚(おさほづか)と女狭穂塚(めさほづか)で,全長150メートルを超える巨大古墳だ。しかしこれらは樹木が生い茂っているために古墳の形は地上からは分からず,あまり見て面白いものではない。

とりあえずガイダンスセンターの「このはな館」に寄り,パンフレットを貰った。内部が見学できる古墳はいくつかあるが,一番近くにある「鬼の窟(おにのいわや)古墳」に行ってみた。もらった地図では駐車場がすぐそばにあるはずなのだが,実際にはその場所は畑になっていた。もっとも車は少ないし道路は広いので路駐で全く問題ない。「鬼の窟古墳」は墳丘の周囲に外堤があるカルデラ状の構造をした円墳だ。一部を切り取って石室の中まで入って見学できるようになっている。外堤も一部を切り取って通路を作り,断面の構造を見学できるようになっていた。なかなか面白かった。

このはな館
このはな館
鬼の窟古墳
鬼の窟古墳
石室前が切り取られている
石室前が切り取られている
石室内部
石室内部

その後は古墳群を見物しながら周回道路を回って西都原考古博物館へ向かった。この博物館は古墳から出土した土器や刀剣などさまざまなものを展示している施設で,今年4月に新しく作られたものだ。県立の施設で入場料は無料だった。地下の展示室でさまざまな出土品を見学する。出土した鉄剣を研いだものも展示されていた。こんな古代の鉄剣で研げるほど保存状態の良いものがあるとは驚きだ。またこの施設の地下には地下式横穴墓がいくつかあり,そのうちの一つを上から見学できるように作られていた。パソコンを使ったガイド装置や,巨大スクリーンに投影された映像での説明などもあった。全体的に非常にお金のかかっている施設だ。シーガイアの赤字で大変なはずなのによくこんな施設を作れるなあと感心した。(笑) もっとも,スクリーンに投影される説明映像はいかにもコンサルに騙されて作ったような,見た目重視で中身の乏しい自己満足系コンテンツで,ちょっとうんざりした。

西都原考古博物館
西都原考古博物館
出土した土器
出土した土器
出土した鉄剣を研いだもの
出土した鉄剣を研いだもの
展望台から眺める小古墳群
展望台から眺める小古墳群

博物館の上の方には展望台があるので登って見学した。小さい古墳群はよく見えたが,やはり男狭穂塚・女狭穂塚の形はよくわからなかった。お腹も空いてきたので,そろそろ昼食に行くことにした。

西都市から佐土原町にかけて流れる一ツ瀬川ではウナギが名産品で,このエリアにはあちこちにウナギ屋が点在している。暑いしウナギを食べようということで,ガイドブックに載っていた有名店の「入船」に行ってみた。ところが,店の前に人が大勢居る。イヤな予感がしたが,案の定これは全員待ち行列で,今からだと2時間待ちだと言われた。すでに14:30近くになっている。さすがに16:30まで昼飯を待つ気にもなれないので,あきらめて他の店へ行くことにした。

次に行ってみたのは西都市の市街地にある「本部うなぎ屋」だ。こちらはなんとか入ることができた。混んでいてかなり待たされたが,脂の乗った美味しい鰻重を食べることができた。一緒に出された呉汁も美味しかった。呉汁を食べたのはずいぶん久しぶりだ。

食後はそのまま国道219号線を南下して宮崎市に戻る。帰りの飛行機は19:40発なので,最初は夕食も早めに宮崎でと考えていたのだが,これだけ昼食が遅くなってしまうとさすがにそういうわけにもいかない。しかし夕食は東京に戻ってからということにすると,それまでの時間が長すぎて腹が減る。そこでつなぎに飛行機の中で食べるものとして,以前から気になっていた「なんじゃこら大福」を買いに行くことにした。

なんじゃこら大福」は地元の有名な菓子屋である「お菓子の日高」が作っている大きな大福だ。つぶ餡の中に栗とイチゴとクリームチーズが入っている。本店は橘通りにあり,初日の夕食に行く途中に寄って試食したのだが,なかなか美味しかった。本店だと車を停めるのが面倒なので,郊外にある浮ノ城店に行ってこれを購入した。基本的にケーキ類と同じ生菓子なので,保冷剤を入れてもらって持ち帰る。

さすがに疲れたしまだ時間があるので,クーラーを効かせた車の中で少し仮眠してから空港に向かった。空港近くのトヨタレンタリースで車を返却・清算し,空港まで送ってもらう。空港では搭乗手続を早めに済ませ,時間があったのでマッサージを受けたり,土産物を物色したりして出発を待った。19:40発のSNA122便なのだが,遅れてきた客を待ったりしたため,出発が25分遅れになってしまった。これはちょっと計算外だ。予定では21:10に羽田に着くので,21:45発のリムジンバスで練馬まで帰るつもりで居た。しかし実際に羽田に着いたのは21:30頃だったので,このバスには間に合わなかった。

電車で帰ると,大門からの大江戸線がなかなか座れない。一方バスだと終点の練馬まで寝ていても連れてってくれる。バスはもう一便22:45発のがあるので,これの切符を買って空港で遅い夕食を取ることにした。amato amatoというイタリアンの店があったので,ここでパスタを食べた。この店は赤坂にもあり,一度行ったことがあったのでとりあえずハズレはないだろうという選択だ。まずまず美味しいパスタを食べて,22:45発のバスで帰路についた。

2004/07/19 (祝) bookmark ピレネー山岳ステージ

今日は祝日(海の日)で,宮崎行きで疲れた体を休める予定にしていた。自宅でぼんやりしていると,takechiさんから今日宴会をやるので来ないかと誘いの電話が入った。しかしさすがに疲れているので残念ながらこれは辞退させてもらった。

宿泊したホテルではJSPORTSの放送を見ることはできなかったので,旅行中の三日間の放送はD-VHSに録画しておいた。LS3モードを使うと240テープに12時間入るので,レースの後半部を4時間ずつ3日分録画できる。EP-P100のHDDに録画すればもっと簡単なのだが,いろいろ事情があってHDDの空きが足りないためテープに録画した。今日は自宅でこのテープを見ながらゆっくり体を休めた。

ツールはいよいよピレネーの山岳ステージだ。第12ステージと第13ステージは共に頂上ゴールで,大会開始前から最大の勝負所と考えられていたステージだ。山岳ではアームストロングが絶対的に強いのだが,今年はウルリッヒやハミルトン,マヨなどのライバルたちも好調が伝えられていたので面白いレースになると期待していた。

しかしこの結果は何なのだろう。USポスタルはいつものようにアゼベド,ルビエラ等が山岳アシストとして先頭を引き,最後にアームストロングを発射するという磐石な体制をとっていた。ところがライバルたちはそのアームストロングどころか,アシストであるアゼベドの引きに付いて来れず,次々に脱落していく。唯一イバン・バッソ(CSC)だけが付いてきたが,アームストロングはまだまだ余力を残していた。第12ステージはあえてバッソに勝利を譲ったが,第13ステージではゴール直前でスパートしてバッソを一気に振り切った。アームストロングが本気の力を出したのはこのゴール直前のほんの数秒間だけだった。

ハミルトンがリタイアし,ウルリッヒもアームストロングから6分以上遅れ,マヨやシモーニ,エラスも大きく遅れている。ライバルたちが揃って自滅していく展開で,アームストロングはトップギアに入れる前に一人勝ちの様相である。

なお,ヴォクレーは集団に追いついたり遅れたりしながらもなんとかマイヨジョーヌを守りきった。さすがにアルプスでアームストロングに引き渡すことになりそうだが,その頑張りは称賛に値するすばらしいものだった。

2004/07/20 (火) bookmark 39.5℃

記録として一応書いておこう。連休明け(7/20)の東京は最高気温39.5℃を記録。これは東京としては観測史上最高記録だそうだ。練馬は何故か都内で最も暑くなって最も寒くなる所なので,もちろんしっかり39.5℃を記録していた。翌朝(7/21)の最低気温も30.1℃とこれまた最高記録。フェーン現象なので湿度が低いのが救いかな。しかしカーテン替えないと冷房が効かなくて辛いな。

2004/07/21 (水) bookmark アルプス山岳ステージ

つなぎの平地ステージと休息日を経て,いよいよアルプスの山岳ステージだ。終盤のカテゴリー2級の峠で,それまでアームストロングやバッソと同じグループで走っていたウルリッヒが満を持してアタックした。アームストロングはこれを追いかけず静かに見送る。6分以上のタイム差がある以上,ウルリッヒの先行を許しても大きな差を付けられないように調整すれば良いという冷静な判断だ。数年前まではこういう局面ではすぐに捕まえた上でカウンターアタックを食らわせて,容赦なく叩きのめすのがアームストロングの戦い方だった。ここ2〜3年はそういう無理はせずにできるだけ安全に総合優勝を獲得しようとする方向性に変わってきている。やるべきことはすべてやり,余計なリスクは背負わないという徹底した合理主義であり,前人未到の6連覇という偉業を達成するためには必要なことなのだろう。

バッソとしてはウルリッヒの先行を許すと総合2位の地位が危うくなる。このため,バッソの所属するCSCはUSポスタル勢と協力してウルリッヒを追い上げる行動に出た。この行動は各メディアから批判も受けたが仕方のない所だろう。ピレネーの結果でアームストロングに対してバッソでは勝ち目が無いことは十分に認識させられている。

結局ウルリッヒは集団に戻り,最後の上り坂で抜け出したバッソ,アームストロング,クレーデンと4人でゴールを目指すことになった。ゴール直前でバッソがスパートしたが,それをはるかに上回る圧倒的なスピードで大外からアームストロングが追い込んできた。ここまで来てもなお余力が残っているアームストロングの桁違いな強さを見せつけられたステージだった。

ヴォクレーが大きく遅れたため,ついにマイヨジョーヌはアームストロングの手に渡った。アームストロングはここで勝たなくてもマイヨジョーヌが獲得できることは分かっていたはずだ。しかしステージに勝って獲得する方が負けて獲得するより何倍もカッコイイ。勝ちにこだわるのは当然だろう。


今日は土用の丑の日なので,駅前の「とりみき」に行って上うな重を食べた。この時期,とりみきでは店の前でウナギを割いて調理する所を実演してくれる。上うな重は初めて食べたが,とりみきらしい上品な味付けでとても旨かった。

2004/07/22 (木) bookmark ラルプデュエズ

第16ステージは今年最初の個人タイムトライアルだ。例年は山岳ステージに入る前の平地で行われるのだが,今年はなんとツールの聖地と呼ばれるラルプデュエズへの上り坂で開催されることになった。全長15.5kmのコースで1130メートルの標高差を一気に駆け上がる過酷なレースである。

レースは予想通りウルリッヒが暫定トップに立った直後に,アームストロングがそれを上回る速度で上がってきて優勝した。2分前にスタートしたバッソを追い抜き,2位のウルリッヒにさえ1分以上の大差を付ける圧勝だ。ここまで全力で頑張らなくてもマイヨジョーヌは守れたはずだが,すでにアームストロングの敵はウルリッヒやバッソではないのだろう。

ベーブルースや王貞治のホームラン記録が破られようとする時など,スポーツの古い偉大な記録が破られる時には常にそれを快く思わない狭い了見を持った抵抗勢力が現れてくる。そのような有形・無形の圧力を跳ね返すにはとにかく結果を出し続けるしかない。今日の勝利で,アームストロングは自分が前人未到の6連覇を記録するのにふさわしい選手であることを世界に見せつけたのだ。まだ山岳ステージや2回目の個人タイムトライアルが残っては居るが,何か事故でも起こらない限り6連覇は間違いなく達成されるだろう。そう確信できるステージだった。


今日の夕食は昨日行った「とりみき」の近くに新しく出来た韓国料理屋「かたくり」に行ってみた。白菜のサラダと石焼きビビンパを食べたが,どれもなかなか美味しかった。石焼きビビンパが800円だし,他の料理や飲み物も安くて非常にC/Pの優れた良い店だ。料理の種類も豊富だったので,また行きたいと思う。

2004/07/23 (金) bookmark ステージ3連勝

第17ステージは再びアルプスの山岳ステージだ。超級山岳ポイントである標高2000メートルのマドレーヌ峠に加えて,1級山岳ポイントが3つもあるというハードなコース設定である。レースは序盤から山岳賞狙いのヴィランクを含む6人の先行集団がリードする展開だった。最後の1級山岳ポイントであるクロワフリ峠の手前で,先行集団はヴィランク,モロー,シモーニというエース3人に絞られた。強力なメンバーなのでそのまま逃げきるかと思われたが,結局は上り坂でUSポスタル勢が引く集団に吸収された。

今日はいつものアゼベドではなくランディスがUSポスタルの最後のアシストとして残っていた。アゼベドはピレネーから足を使いすぎたのか,今日は調子が悪いようだ。しかしそれでも他の選手がきっちり代役を果たせるところが,USポスタルの層の厚さである。

ランディスの引きで集団はランディス,アームストロング,バッソ,クレーデン,ウルリッヒの5人に絞られた。ランディス以外は総合成績の1〜4位という最強のメンバーだ。しかしウルリッヒもバッソもすでに限界なのか,ここからアタックを仕掛けることは出来なかった。結局5人で峠を越えて下り,勝負はゴールスプリントになった。ランディスがスパートするが,すぐに追いつかれる。続いて5人の中では最もスプリント力のあるクレーデンが残り1km地点で飛び出した。これで決まったかと思われたが,スパートして追い込んで来たアームストロングがゴール直前でかわして優勝した。

クレーデンは平地でザベルのスプリントのアシストもこなしてきたスプリンター系の選手だ。本来ならスプリントでアームストロングに負けるとは考えられないのだが,200kmに渡る山岳コースをずっと走って来た後では話は別だった。

もちろんアームストロングは元々このステージを勝つ必要性は無い。したがって当初はランディスにこのステージを取らせようとしていたようだ。しかしクレーデンにランディスが追いつけないと判断するや,自分でステージを取りにいった。ランディスの献身的な働きを無駄にしないための行動と言える。

アルプス山岳ステージを3連勝して今大会4勝目。その圧倒的なパワーはすべての批判を封じ込め,見ている者を魅了する。6連覇達成の瞬間はもうすぐだ。

2004/07/24 (土) bookmark カーテン

日中,部屋に居るとあまりにも暑いので,遅ればせながらカーテンを新調することにした。現在使っているカーテンは6年前に引っ越してきた時に間に合わせで買った既製品で,以前から買い換えたかったのは確かなのだが,なかなかきっかけが無くて今日に至っていた。

東急ハンズで売っているコーズというカーテンが遮音性が高くて良いと以前totoさんから聞いていたので,池袋のハンズまで見に行った。しかしコーズは色がネイビーとベージュの2色しかなく,縁の仕上げなどがイマイチな印象だったので結局同じ東急ハンズのノイエを選択した。遮熱性の高い特殊なレースカーテンと併せてカスタムサイズで発注した。納品まで7〜10日かかるようだがもう少しの辛抱だ。

2004/07/25 (日) bookmark 個人タイムトライアル

つなぎの第18ステージを経て,第19ステージは最後の個人タイムトライアルだ。55kmの平地コースで行われたレースは,またもアームストロングの圧勝で終わった。2位のウルリッヒに対して1分01秒の大差。奇しくも第16ステージの山岳個人タイムトライアルと全く同じタイム差だった。平地でも山岳でも圧倒的に強い。ウルリッヒも3位以下の選手に対しては圧倒的に強いのだが,アームストロングにだけはかなわないという構図が,今年も繰り返された。

この日はマイヨブラン争いと総合2位争いが見どころとなった。マイヨブランは今日までヴォクレーが保持していたが,45秒差で2番手に付けているカルペッツ(イレス・バレアレス)がタイムトライアルを得意としている選手なので,防衛は厳しいのではないかと言われていた。果たして予想通り,カルペッツはこの日全体でも8位に入る好成績を納め,ヴォクレーを逆転してマイヨブランを獲得した。

総合2位はバッソとクレーデンの争いだ。元々タイムトライアルを得意とするクレーデンなのでバッソは分が悪いと言われていたが,最初の18kmの入りでは2人ともほとんど変わらないタイムを記録していた。しかしその後バッソは遅れ,クレーデンが前日までの1分差を逆転して総合2位を確実にした。クレーデンはウルリッヒのアシストとしてTモバイルに所属している選手だが,今後は各チームでエースとして迎えようと争奪戦が繰り広げられることになりそうだ。

それにしてもこの日一番の驚きは,USポスタルのアシスト勢の成績だ。今日の個人タイムトライアルでランディスが4位,ルビエラ,アゼベド,ヒンカピーが9〜11位にそれぞれ入賞している。このランディスの4位というのは,上にはアームストロング,ウルリッヒ,クレーデンの3人しか居ないという成績だ。チームタイムトライアルの時にUSポスタルが圧勝したのは最適化された走りができるチームワークが要因だろうと書いたのだが,実は単にそれだけではなく個々の選手の実力も大幅に向上していたのだということを,この日の成績ははっきり物語っている。アームストロングと共に科学的な裏付けのあるトレーニングをきっちりやってきた成果と言えそうだ。

2004/07/26 (月) bookmark 6連覇達成

最終日の第20ステージはパリをゴールとする恒例のパレード走行だ。途中のスプリントポイント争いを除けば,シャンゼリゼの周回コースに入るまでは実質的にレースは行われないしきたりになっている。集団の中にカメラバイクが入り込み,カメラマンたちに対してアームストロングや各選手がさまざまなポーズを取ってサービスしていた。

シャンゼリゼの周回コースに入ると実質的なレースの開始だ。何度も逃げが試みられた。マイヨブランを失ってフランスチャンピオンジャージに戻ったヴォクレーも逃げ集団に入って大健闘だ。しかし結局逃げ集団は吸収され,最後は恒例のゴールスプリントになった。ちなみにシャンゼリゼで逃げが決まったのは10年前の1994年が最後だそうだ。近年はスプリンターを抱える各チームが協力して組織的に逃げを潰す戦術が定着したので,スプリンターで無い選手が逃げて勝つチャンスはほとんど無くなっている。

レースはボーネン(クイックステップ)がゴールスプリントを制して優勝した。第6ステージに続いて今大会2勝目だ。一方,4年連続で最終日決戦となった注目のマイヨベール争いは,マキュアンがポイント差を守りきって2002年に続く2度目の栄冠に輝いた。昨年は最終日にクックに逆転されたが,3年連続で安定してマイヨベールを最後まで争ってきており,スプリンターたちの中でも一つ抜き出た存在になりつつあるようだ。

アームストロングは無事にゴールしてついに前人未到の6連覇を達成した。過去にツールを5勝した4人の偉大なチャンピオンたちを超えるすばらしい快挙だ。もちろん先人たちはツール以外にもジロ・デ・イタリアを優勝する等の実績を積み重ねており,ツールに専念しているアームストロングより劣るとは決して言えない。特にツールとジロを両方5勝したメルクスが史上最強と呼ばれるのは今後も変わらないだろう。

このことはアームストロング自身も意識している所で,来年はジロに出るかもしれないと発言しているようだ。是非とも出場して同年にジロとツールの両方を制覇するダブル・ツールを達成して欲しいものだ。パンターニが1998年に達成して以来,ダブル・ツールの達成者は居ないのだから。

2004/07/31 (土) bookmark 野田岩

N-MIXの仲間で「野田岩本店」へ行って鰻を食おうという話になった。夕方近くにatlanさんが車で迎えに来てくれるということなので,昼はmyuuさんと一緒に近所のココイチへ。所用で練馬に来ていたmotoka先生も後から合流してカレーを食った後,我が家で「もじぴったん」で遊んだりしてのんびり過ごす。

夕方になってatlanさんが来たので4人で麻布の野田岩へ向かう。話が決まったのがギリギリだったため予約はできなかったので,先に来ていたnakakukiさんが待ち行列に並んでいてくれた。開店時間の少し前に無事に座敷に通される。少し遅れてひらりんもやって来て,これで全員集合。

鰻料理屋なので料理のバリエーションはそれほど無い。刺身等が追加されたコースメニューもあるようだが,あまり意味を感じないので普通にうな重の最高級品をオーダーして食べた。確かに美味しい。でも先日食べた「とりみき」の上うな重と比べて値段分の差(つまり感動)があるかというと疑問も感じる。きも吸いはなかなかすばらしい味だったけど。しょせん鰻なんてそういうものなんだろう。

食後はまだ明るい時間なので,近くにある東京タワーに行こうという話になった。実は東京に出てきて20年以上になるのだが,いまだに東京タワーに登ったことは無かった。150メートルの高さの展望台からの景色はなかなかのものだが,六本木ヒルズなど周りに超高層ビルが沢山ある現状も改めて実感させられた。250メートルの特別展望台に登ればまた違った景色になるのだろうが,エレベータ前に長蛇の列ができていたため諦めた。

練馬区役所やその近くの高層マンションが見えないかと思ったが,こちら方面は近くの高層ビルの影に隠れてよく見えないようだ。また,等々力のサッカースタジアムの照明がちょうどこちらを向いていたため,異様に明るい光の塊が遠方にはっきりと見えて印象的だった。


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