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えりも岬食中毒事件

 北海道に初めて足を踏み入れたのは、大学3年の夏休みのことだった。夏休みに入るとすぐに友人と2人、輪行(自転車を分解して袋に入れ、列車で移動すること)で大阪を経由し、特急「白鳥」で日本海側を北上した。途中、踏切事故や線路沿いの火災で列車の到着が大幅に遅れ、夜中に乗るはずの青函連絡船は既に朝を迎えていた。道内に入ると一旦千歳の叔父の家に落ちついて旅の準備を行った。当初は道内を半周して山口までサイクリングで帰ると言う壮大な計画だったので、それなりの準備が必要だったのだ。叔母が美容院を経営しており、せっかく伸ばしていた髪をばっさりやられたのは予定外だったが!

 日高本線の様似駅まで輪行して、いよいよ本格的に走り始めた。北海道とは言え、7月の日中は暑い。汗だくになりながら、えりも岬に到着した。岬から海を眺めると、東映の映画のオープニングに似た風景が広がっていた。遠くの岩礁にはトドみたいな動物もいる。岬でおにぎりを食べて、その日の宿泊地百人浜キャンプ場に向かった。ちょうど週末と重なったせいか、キャンプ場はそこそこの人手があって、賑やかな雰囲気だ。設営を済ませ、カップラーメンと昼の残りのおにぎりを食べていると、近くのサイトの釧路から来たと言う団体にジンギスカンを一緒に食べないかと誘われた。せっかくの申し出を断る理由もないので、二つ返事でいそいそと参加した。

 異変が起きたのは、食べ初めて30分もした頃だろうか!友人が気分が悪いと訴え、自分たちのテントサイトに帰ると盛大に戻し始めたのだ。ジンギスカンと一緒にビールもいただいたので、そのせいかとも思ったが、それにしては様子がおかしい。それから20分ほど経つと、今度は自分も同じように戻し始めた。胃の中が空っぽになっても、依然として吐き気が収まらないのである。2人並んで苦しみながら、もしかしたら、このまま朝を迎えられないんじゃないかと本気で心配した。吐き気は一晩中続いたが、ある程度落ちつきを取り戻してから何が原因かを考えてみた。昼飯の残りのおにぎりに糸が引いてたのを思い出すのにそう時間はかからなかったが、あの暑さのなか腐らない方がおかしい。まさに恐ろしきはケチることである。

 翌朝は最低の気分で目覚めた、と言うよりほとんど眠れなかったので、疲れが澱のように溜まっていた。釧路の人たちが心配してくれて、せめて味噌汁だけでもと持ってきてくれた。その日もキャンプ場で泊まる予定だったのだが、布団の上で体力回復を図る必要があると思われたので、急遽帯広ユースに泊まることにした。百人浜から帯広まで距離にして約150キロ、食中毒の身体にはきつかったが、なんとか走り抜いた。途中広尾線の愛国駅で幸福行きの切符も買ったが、幸せはなんだか遠いような気がしたものである。

 友人より毒が効き始めるのが遅かった分、なぜか回復も若干早くて、夜になっても食欲の出ない友人を後目に帯広名物「豚丼」を完食し、ユースホステルのベッドで爆睡した。こんな調子の旅であるからなのか、日本縦断の予定はこの後10日もせずに道東の小さな旅の宿で消え去ってしまった。

 

(00/6/2)