ナセル湖の日の出


 アスワン市内のホテルを早朝3時に出発、250`離れたナセル湖に向う。
ナセル湖から吹き付ける風は強く冷たかったが、美しい日の出が見られた。

 ナイル川は毎年夏になると氾濫、肥沃な土地を作り出していたが、
人口が増えるとともに、氾濫防止と灌漑用水確保の必要となった。
統治していたイギリスが1901年にアスワンダムを建設したが、不十分だった。

 その後、ナセル大統領が1952年に大規模なアスワンハイダムの建設に乗り出し
ソ連の支援を受けて、1970年に高さ111b、全長3600bの巨大な堰堤が完成。
貯水池は琵琶湖の8倍。ナセル大統領の功績を称えナセル湖と名づけられた。


 ダムの建設により水没する地区にヌビア遺跡のアブシンベル神殿はあった。
そのまま水没する計画だったが国際的に保存の世論が起き、ユネスコの支援を受けて
巨額の資金と時間をかけて、湖畔の断崖に移転して保存、観光地となっている。
 
 大小2つの神殿は、偉大なるファラオ・ラムセス2世によって建立されました。
これらはエジプト建築の中で最も素晴しく、最も完成された形を持つ。建設されてから、
3000年以上たつが、神殿は自然による破壊に耐えて、ほとんどそのままの状態で残っている。


    アブ・シンベル大神殿
 
 ラムセス2世によって建立され、太陽の神ラーを奉ったもの。
岩を切り崩して作られて おり、高さ33メートル、幅が33メートルある。
建物の正面には高さ20メートルの4つの巨大なラムセス2世の座像が据えら、
像の上には、偉大なファラオの名前が刻まれており、
日の出を拝むヒヒの列が頭の部分を飾っている。

 8年の歳月をかけて水没地域から移転された。 

  
アブ・シンベル小神殿
           

 大神殿の北50mに位置する。ラムセス2世の美しい愛する妻、ネフェルタリ王妃のため、
愛と美の女神であるハトホルをたたえて造られました。
4体のフェラオ像と、2体の王妃の像が、この神殿の入口に据えられています。

 この神殿も4年かけて水没地区から移設された。

夜行寝台列車の旅



 カイロのギザ駅


    (800キロ)

 
  
アスワン駅
アスワン駅からカイロのギザ駅までの800`はナイル川に沿って北上する夜行寝台列車の旅。外国では初めてで
快適な旅になるだろうと期待は大きかった。午後6時ちょうど定刻に列車は発車したのだが・・・・・・

寝台夜行列車は10両編成。ジーゼル機関車がが
引っ張る。

1両に2人用の個室が12室。
個室は2畳ほどの狭さで、
部屋の隅に小さな洗面所があるが、
水が出ず使用不可能。ベッドは2段。
枠のさびた窓がひとつ。薄汚れて、
外はあまりよく見えない。
期待はずれの住環境の悪さだった。

室内に4人も入るとすし詰めで、身動きも出来ない。
それでも持ち込んだお酒で賑やかに宴会。

夜食と朝食はルームサービスという
触れ込みで期待したが、ジュースと
パサパサのパンが3、4個というお粗末な
内容。

世話をするのはカジュアルな服装の
武骨なボーイさん。
食後のあとに「ティーはいかがですか」
と言うので頼んだら、2ポンドを要求。

このボーイさんどこかで見た顔。
現役時代、編集局長だった某氏に
似ていると皆で大笑いした。


 列車はゴトゴトと揺れが激しく、時には急停車も。寝心地は悪く、うとうととするぐらい。
ギザ駅に到着近くになって、停車したまま動かない。その間何のアナウンスもなし。

 到着予定の午前7時より3時間あまり遅れて午前10時前に到着。その後がまたひと悶着。
なんとギザ駅のホームよりも列車の方が長く、ホームから3両ほどはみ出てしまった。
 
 我々は最後尾だったので、荷物を持って狭い通路を前に移動。やっとホームに降りたが
人や荷物で大混雑。散々な寝台夜行列車でしたが、思い出に残る旅でした。

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