徴税人ザアカイ

キリストとの出会いで人生が変わってしまった普通の人に徴税人ザアカイがいます。

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持であった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通りすぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて着なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は失われたものを捜して救うために来たのである。」

徴税人ザアカイは背が低く、皆に意地悪をされてイエスを見ることができなかったのでした。そこでキリストを見たさに木によじのぼります。視覚的にもユーモラスで子供の絵本にでもでてきそうな情景です。しかし、この人はきっと頭が良く狡猾で残忍なところがあり、それで皆にひどく嫌われていたのだと思います。そんな「なかなかの人」が何故たった一度のキリストとの会食であのように大盤振る舞いな発言をしてしまったのでしょうか。キリストのなにが彼の心を掴んでしまったのでしょうか。残念ながらこの記事だけではその秘密を知る由もありません。しかし、キリストの「人の子は失われたものを捜して救うために来た」という言葉が単なるスローガンではなかったことがわかります。