財産についてのキリストの考えは明確です。ルカによる福音書 12 章の次のたとえ話を読んでみましょう。
「ある金持の畑が豊作だった。金持は、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も行きていくだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の生命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。
童話「モモ」の中で、ミヒャエル・エンデは人間が本当に所有しているのは時間だけであって、それをどう豊かに生きるかが大切であると言います。時には、自分にとって本当に豊かに生きるとはどういうことかを考えることが必要かも知れません。