'93 F1日本GP観戦記    

10月21日(木)

 鈴鹿のチケットを手にしてからこの日まで、待つことが何と長かったことか。恐らくほかの誰にも理解できないような多くの期待でいつも心の中が一杯だった。それはほかのGPを一つずつ消化していくごとに大きくなり、出発の日を迎えて頂点に達しようとしていた。この日は仕事を午前中で切り上げ、旅行の準備を始めた。遊びだと分かっているのだが、緊張して何度も何度も忘れ物がないかを確かめる。そうこうするうちに同行の中田青年が迎えに来て、空港に向けて出発した。この中田という男も結構F1が好きで、90年の日本GPの予選だけを見に行ったことがあるらしい。空港で食事を済ませたあと、午後6時55分名古屋に向けて離陸した。鈴鹿周辺では、早い時期から宿が予約で一杯になっているので、結局名古屋しか取れなかったわけだが、そのホテルが地下鉄駅のすぐ近くでおまけに繁華街の真ん中に位置していたため何かと便利は良かったと思われる。ホテルに着いたのが遅かったので、近くの居酒屋で軽く飲み食いして、はやく寝ることにしたのだが、おりしもサッカーのW杯の最終予選をテレビでやってたので遅くなってしまった。

スタンド

10月22日(金)

 F1のフリー走行に間に合うように7時すぎにホテルを出た。地下鉄で名古屋駅に行き、近鉄線で白子駅か平田町駅で降りるのだが、初日で慣れないせいもあっていきなり四日市止まりの準急に飛び乗ってしまった。結局四日市から平田町行きの電車に乗り換えて、着いたのが9時頃だった。バスもタクシーも全然いなくて歩くことにしたのだが、途中でタクシーがひろえてぎりぎりで9時半からのフリー走行を見ることができた。このタクシー乗車拒否もせずメーター倒さずに千円で行ってくれたので親切な運転手だと大いに感謝したのだが、駅のタクシー乗り場にサーキットまで千円と表示してあったのを思い出して、その巧妙な手口に思わず感心してしまいました。タクシーを降りてから正面ゲートまで結構距離があって歩かなければならないのだが、サーキットの方から耳をつんざくようなエンジン音が聞こえてきて実際に見る前からドキドキしてきた。それにしてもまだ金曜だと言うのにサーキットに向かって歩く人並みには感心してしまう。それぞれお気に入りのチームやドライバーの帽子やジャケットを身につけて歩いていた。特にセナがいつもかぶっている帽子がやたらと多くて、日本GPはセナでもっている部分もあるなと感じた。

 すでに通りの両側にはF1グッズのショップが店開きしていて気の早い連中が買い物を始めていた。我々の席は、グランドスタンドの第1コーナーよりのすぐ隣で随分と高い位置ではあったが、目の前にピットが並んでいて特に片山右京のティレル、鈴木亜久里のフットワークなどは正面の位置で、双眼鏡でのぞくと表情なんかもよく見えて高い金払ったかいがあったと思った。(ちなみにこの席は観戦券と指定席券で4万円もしたのです。)スタンドに着いた時はフリー走行の真っ最中でそれぞれ特徴のあるエンジンサウンドを残しながらストレートを駆け抜けて行ってました。素人に聞き分けができるのはフェラーリV12のやたら甲高い音ぐらいでV10、V8は正直な話マシンを見なければ区別はできなかった。おかげさまで普段からの学習の成果か、マシンとヘルメットのカラーリングでドライバーぐらいは識別できました。11時までフリー走行を眺めた後、残りのチケットの売券のため逆バンクのあたりまで行ってみることにした。コースを走るマシンだとほんの何十秒かの距離だが、外周を歩いて行くとやたらと遠いのだ。この日は結構気温が高くてシャツ一枚でも汗ばむ程だったので、途中で飲んだフォスターズのビールはうまかった。結局ダンロップカーブの自由席にたどり着いたのは、午後の公式予選が始まる前になってしまったので、予選はS字カーブで見ることになったのだが、ストレートと違って進入がかなり減速してくるので、マシンもしっかり見えるし逆バンクに向かって回転上げながら走って行くので迫力があった。ビールのせいで少し眠たくなっていたのだが、思わぬ展開に興奮気味にカメラのシャッターを押し続けていたのです。おまけに目の前にはサーキットビジョンもあって、結果が一目瞭然というあまりのおいしさに来年はここで見ようと中田君と誓い合ってしまった。

 さて、公式予選の中身だが、まずセナが1分40秒を切ってタイムアタックの口火を切った。そのあとアレジが積極的な走りでセナに迫るタイムを出す。シューマッハ、プロスト、ハッキネン、ヒルそしてベルガーといった連中が首位にあるいは首位に迫るタイムを次々に叩き出していった。前半を折り返した所でスプーンカーブの立ち上がりでアレジがクラッシュ、20分の赤旗中断のあとセナが首位を奪い返したが、残り20分を切って激しい首位争いが始まった。結局、目まぐるしく変転した上位争いは最後の最後でプロストが制した。以下シューマッハ、ハッキネン、セナ、ヒル、ベルガーの順となり、日本人は右京が10番手、亜久里が15番手で予選2日目に望みをつなぐ形になった。F1の公式予選の後、F3とシビックの予選があったけど、パスして買物をすることにした。S字からの長いみちのりを人並みの中をひたすら歩いて、すでに人の山でアメ横みたいになってしまった売店エリアで必死で買物して宅急便で送ってしまったのだが、フットワークではなくてペリカン便で荷物を送ったのが惜しまれるのでありました。

 この日のサーキットでの予定はほとんど終了したので相変わらずの人混みの中をバスに乗ろうと歩いてたら、待ってる人が長蛇の列をなしているので急遽平田町の駅まで歩くことにした。普段から運動不足のうえサーキットのまわりを相当歩いていたので正直なところ初日だと言うのに足の疲れがピークに達していたのだが、そこらへんに野宿する訳にもいかないので駅に向かって歩き始めた。途中で川井ちゃんと佐藤里香が道端のステージでイベントをやっていた。歩きながらも目ざとい中田君はベネトンのキャンギャルを見つけて、一緒に写真に写りたいとごね始めたので写してやったのだが、自分だけ写ったらさっさとまた歩き始めた。本当は私も写真を一緒に撮ってほしかったのだが、言い出せなくてなにも言ってくれない彼をほんの少し恨んでしまった。(後日、彼とベネトンギャルの写真を見て大変後悔してしまいました。)1時間ほどかかって駅に到着して、それから名古屋までは電車でまた1時間ほどかかる。名古屋の駅から名鉄で40分ぐらいの知立市と言う所に、知り合いがトンカツ屋を営んでいるので晩飯がてら出掛けて行った。5年前の夏に信州に家族旅行をした際、白樺湖のペンションで一緒だった人達だ。向こうも3人家族で子供が同じ歳だったので、夕食のあとに遊んでいたのを記憶している。あれから年賀状をやり取りぐらいで、一度も会ったことがなく顔も忘れていたが、突然行ってびっくりさせてやろうと思った。店を探すのに少し手間取ったが、ようやく見つけてたがいの素性が分かったときは本当に驚いていたようだ。商売とはいえすっかりごちそうになってしまって、お土産もって行ってて良かったと思っている。ホテルに戻ったのは10時を過ぎていて、早々に寝ちまった。

エントランス

10月23日(土)

 この日から仲間がもう一人増えることになっていた。中田青年の学生時代の友人で、岩手県の工藤女史である。夜行バスで名古屋に早朝に着くということで、ホテルのロビーで7時半に待ち合わせをしていた。出発する時間が遅くなると混んでくるので、ゆっくりする間もなく名古屋駅に向かった。名古屋からはきのうの失敗を教訓にして、特急券もないのに特急に飛び乗ったのだ。さすがに土曜日ともなるとますます人が増えて、白子の駅前にはバス待の人の列が果てしなく続いていた。白子からサーキットまでは6キロ以上あるので仕方なくその列に入ってバスを待つことにした。結局、着いたときにはフリー走行がはじまっていたが、まず残りの券を売ることが先決だったので指定席をもって無さそうな連中に声をかけることから始めた。案ずるよりもなんとやらで思っていたよりも簡単に、栃木のお宅っぽい大学生が買ってくれた。券が売れたのでほっとしたせいか、中田が腹がへったと言いピザを食べることになったが、ピザにビールは付き物だし何より売券の成功を祝し午前中から飲んでしまったのだ。スタンドに行くとさっきのお兄ちゃんがすでに自分の席に陣取っていた。無口な青年だったが、ぽつりぽつりと語るところによると家が栃木で埼玉の大学に通っているらしい。泊まるところがなくて野宿をするらしかったが、折しもこの日は大陸の寒気団がやって来てやたらと寒かったので3人で心配したのです。そういう身の上や暗そうな風貌からチケットを格安で譲ってやったにもかかわらず、心優しい田舎人たちは缶コーヒーとかをおごってやったのだ。

 さて、そうこうするうちに午後の公式予選の時間がやってきた。日本人ドライバーは早い時間から積極的にタイムアタックに出て行ったようだ。そのうちアレジがコース上に姿を現し、V12をぶん回しながら走っていたが、タイムアタックに入った途端第1コーナーでコースアウトしてしまった。あちこちでティフォシのため息が漏れている。序盤はヒルが暫定の首位となるが、ヘアピンの手前でコースアウトしてしまった。プロストとセナがヒルのタイムを上回り、これで落ち着くかと思いきや信じられないことにベルガーが最速ラップを出して一躍トップにおどり出た。フェラーリファンのみならず大歓声がサーキットにこだまする。しかしベルガーの天下はわずか数分間のことで、のこりのセッションで4人にドライバーに逆転されて5位に転落してしまった。最終的にはプロストとセナが第1列目からのスタートになって、因縁の対決になってしまったけど、久々の大混戦のポール争いで見る方としては最高の予選となった。おまけに亜久里が9位、右京が今季最高の13位となり決勝の楽しみが増えたようだ。鈴鹿は抜きにくいサーキットなので予選のスターティンググリッドがものを言う場合が多い。それだけに2日目の予選はどのドライバーもしゃかりきになって走るんだろうけどお客さんはひいきのドライバーの成績をみては一喜一憂している状態だ。予選終了後、シビックの決勝が行われた。F1のあとでは走りにしろ音にしろ物足りなかったが、そこそこバトルもあって、最後までスタンドで見てしまった。黄昏のサーキットに野宿青年を残して我々は名古屋への帰途についた。1日目と同様バスはすごい人で、すぐにあきらめ徒歩で平田町駅へ向かった。実は名古屋在住のいとこがいるのだが、ホテルに着くとそいつに電話してみんなで近くの居酒屋に行って夕食にした。中田君と夜行バスの工藤さんは、疲れてたらしくてホテルに帰ったのでいとことその友人と3人で繁華街をぶらついて、地下鉄で名古屋駅まで送って行って別れた。地元の人間を送って行くのも何か変だね!

ベネトン

10月24日(日)

 眠い目をこすりながらも元気に早起きだ。それも8時半からのフリー走行に間に合うためだったのだが、名古屋からは急行にすわれたのでこの貴重な時間を朝食に当てることにした。時間が早かったせいか白子の駅も昨日ほどは混んでなくて、予定通りにサーキットに到着することができた。バスを降りてサーキットまで歩く時間を計算していなかったので、フリー走行は終盤にさしかかっていた。この朝のセッションでは、なんと亜久里がプロストに次いで2番のタイムを出していたので、午後の決勝が期待された。10時半からはF3の決勝が行われて、近藤マッチも20台中の前から4分の3ぐらいのグリッドからスタートした。さすがにシビックよりは速かったけど、F1と比べると迫力のないのは致し方ないことであろうと思う。忘れておりましたが、例の野宿青年は無事に一夜をすごし我々が到着したときは、すでにスタンドに座っていた。風邪をひいたふうでもなく、一同ほっとしたところでありました。でも、さすがに眠れなかったのかF3の決勝の間、居眠りをしていたようだ。F3が終わると、F1の決勝まで時間があったのだが、スタンドから動かず軽い食事を取ったりしてスタートの時刻を待っていた。観客が多くなって来たので、売店やトイレは長蛇の列となっていた。

 そのうち日本GP開催のセレモニーが始まり、コースを各ドライバーの属している国の大きな国旗が強い風の中でなびいていた。セレモニーが終わり、コース上は各チームのマシン、ドライバー、メカニックそして報道関係者で混雑が始まっていた。スタンドに近づいて来たせいか、表情などが肉眼でとらえられるようになった。我々の座っていた場所は、スタートを待つ列のちょうど真ん中ぐらいで亜久里と右京はすぐ目の前に位置していた。夢じゃなくて、本当に目の前にF1マシンがスタートの時を待っているのだ。やがて午後1時、決勝スタートの時刻となった。メカニックを置き去りにして華やかなフォーメーションラップが始まった。自分達の行く手を確かめるように、24台のマシンはストレートをコーナーを風のように駆け抜けて行く。再び、マシンがそれぞれのグリッドにつくと、最後尾でオールクリアのグリーンフラッグが振られマシンの咆哮がサーキットを包む中、シグナルが点灯した。そのあざやかな赤は、自由を与えし緑へそしてさらに大きな咆哮と歓声の中、4輪の上の魂たちはただ前に進んで行った。この時の私の心に何があったのか、一瞬頭の中が空っぽになったような、きっと言葉ではうまく表現できないことなのだろうと思っている。スタートの瞬間、鳥肌が立つような緊張と本当にうれしい時に込み上げてくるもの、それが一緒になって誰が勝とうがそんなことはどうでもいいって気持ちになっていた。きっと15万の観衆の中には、この一瞬だけをあじわうために来ている人がたくさんいると思う。知らないうちに立ち上がってこぶしを握っていた。目頭まで熱くなっていた。すっかりセンチメンタルになってしまいましたが、本当の話です。

 さて、肝心のレースはというとプロストがスタートでもたついている間に、セナがトップで1コーナーに進入した。以下プロスト、ハッキネン、ベルガーそしてスタートで3人を交わしたアーバインと続く。その後、シューマッハとヒルがアーバインを交わしベルガーに迫っていった。この3人による激しいバトルでシューマッハがヒルに追突して戦列を離れ、後にベルガーもエンジントラブルでリタイアした。セナのタイヤ交換の間にプロストが首位に立ったが、16周目に雨が降り出すとマージンを少しづつ失い、タイヤ交換でもたついてセナに先行を許してしまった。このころの周回では亜久里と右京が日本人同士でバトルを始めていた。おもしろいけどハラハラドキドキなのだ。ハッキネンは、最初から最後まで他の車に絡むことも絡まれる事もなく、3位のまま孤独な旅路を完走で飾った。ロータスにいたときから好きだったドライバーだったが、表彰台が初めてというのは意外だった。レースが半ばを過ぎたところで右京、亜久里が相次いでリタイアしてしまい日本人では鈴木利男が残るのみとなった。初めてのF1で苦しい展開ではあったが、粘りの走りでとうとう最後まで走り抜いた。

 ドライ、ウェット、ドライと展開したコンディションの中で、結局のところセナがおいしいところを持っていったわけだが、タイヤ交換のタイミングがいろんなドラマを生んだような気がする。傑作だったのはM.ブランドルで、彼は自分のタイヤに追い越され、3輪でピットに戻りその後プロストに次ぐラップタイムを記録している。アーバインは現在全日本F3000でタイトル争いをしているドライバーだが、初のF1出走にもかかわらず、びっくりするようなアグレッシブな走りで観客を魅了した。ただそのパフォーマンスは、ワーウィックやセナの非難の対象となり、セナには殴られたという話もある。プロストが去り、こういう新人がF1を席巻する存在になっていく。だからいつまでもF1オタクをやめられないんだよね。そういえば、あのビール大好きの中田青年が決勝を前にして、しらふで見るとか言ってたのは、彼なりの思い入れだったんだと思います。そしてこの日本GPが忘れられない思い出となって自分自身の歴史の1ページとなっていくのだ。

 表彰式が終わり、ゲートに続く道は元旦の明治神宮か成田山みたいな状態になっているので、またもやバスをあきらめて白子の駅まで6キロの道程を歩くことにした。忘れておりましたが、偶然にも野宿青年のバッグの肩紐に書かれた名字をみてしまったのです。「倉井」と書かれていました。彼と別れたあと3人で力一杯笑ってしまいました。笑うのは悪いと分かっているけど、どうしても笑わずにはいられなかったのです。倉井君、本当にごめんなさい。キミがついでに写っている写真があるので、住所を調べて送ります。肉体的には3日間の疲れがいっぺんに出たようで、高揚した気分とは裏腹に足取りが非常に重たい気がした。なぜか終わってしまったのに楽しくて、3人で缶ビールを飲みながら駅までの遠い道程を歩いていた。道すがら、露店で今はなきレイトンハウスの福袋と大きなバッグが半額以下だったので酔いも手伝って買ってしまった。サーキットから白子の駅まで6キロ少々のはずなのだが、やたらと遠くて、おまけにビールのせいでほとんど失禁寸前状態に3回ほどなってしまった。恥ずかしい話である。1回目は空き家の庭で、2回目は倉庫の裏で、そして3回目は市街地に近づいたせいか適当な場所が見つからなくて、断られるのを覚悟で大きなドラッグストアに駆け込んだら快く貸してくれて助かった。ありがたい話である。中田君は人の心配をしている素振りだったが、3回ともいっしょにいったので、同じ状態だったのだと思う。つまらない話題で紙を粗末にしてしまいました。

 いよいよ白子の駅に近づいて一つのプランを提案した。それはまず逆方向の電車に乗り、次の停車駅で降りて名古屋行きの電車に乗り換えるというプランだ。うまくいけば名古屋まですわれるので、疲れきった足を休めるのに持って来いだ。案の定、駅のホームは黒山の人だかりで、さっそく座席確保大作戦を開始した。まず伊勢方面行きの急行に乗った。私の勘では、次の停車駅では名古屋行きの急行が同じ時刻の発車になるような気がしたので、着いたらすぐホームの反対側の急行に飛び乗ること、そんな指示を出して到着を待った。私の勘は当たったのだが、とんでもないことにホームが線路をはさんで反対側にあり、走って行くうちに遮断機が下りて来たのだ。中田君が遮断機で顔を打ちつけながらも駆け抜けて行って、工藤さんも身軽にくぐり抜けて行った。最後に残った私もくぐり抜けようとしたら、背中のデイバッグにサーキットでもらったキャビンのフラッグを差していたのを忘れてて、それが引っ掛かってなかなか反対側のホームに行かせてもらえなかった。非常に恥ずかしい話である。結果的には座席を確保できたので、この大作戦は成功したと言えるだろう。工藤さんは仕事が休めないので、新幹線で東京まで行ってそれから夜行バスで岩手に帰るという。その並々ならぬ努力にあらためて敬意を表したいと思う。ホテルに戻って荷物をとって名古屋駅で見送った。新幹線ホームは人でいっぱいだったが、たった一人で家路につく彼女がやけに小さく見えて胸が痛んだのだ。「機会があればまた鈴鹿でお会いしましょう」と心の中でつぶやいた。こうやって初めての聖地巡礼が終わった。今年は運よくチケットを手にすることができて、至福の時を得た。ドライバーが変わろうともコンストラクターが変わろうともマシンのカラーリングが変わろうとも、グランプリが続く限り鈴鹿に向けての努力は惜しまないだろう。幸いなことに来年の4月からは、岡山のTIサーキットでもパシフィックGPが行われることになりそうだ。こちらも早めのチェックが必要になりそうである。まず鈴鹿そして岡山、一度でいいからモンテカルロにも!

  93年11月吉日        マンセル大好きの KURO

キャンギャル

【特別付録】WOWOWで日本GPをビデオに取って、嘗めるように見てたら我々4人が映っているのを発見しました。時間的には始まって15分前後、スタート前のインタビューが続きシューマッハの数カットあとにアレジが出て来ます。その直後のスタンドの風景の中に我々がいるのです。工藤さんはグッドイヤーの帽子、中田君は無帽、私は白い帽子で倉井君はずっと双眼鏡を覗いているので顔が見えません。場所は画面の左側の真ん中よりか下側くらいかな!