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92/02/27 01:08:26 SUM 必要性、そして時代が求めるもの
1.必要性について
石油の国家備蓄計画と同様で、将来の観測を見誤った無駄な投資です。現在の51
基で十分、まして九州には必要ありません。
国などが行なう公共投資にはよくこのようなケースがありますが、それは獲得した
予算を何がなんでも消化しなければならない場合や、受益団体、業者の圧力に押され
て政治的な配慮による場合などが考えられます。建設なかばで挫折した宍道湖の水門
や、水利目的が用をなさなくなった今もなお強行する長良川河口堰がその例です。
一方、原発のような民間資本による投資はどうでしょうか。「神の見えざる手」に
よって、需要供給のバランスが保たれると思っている人はまさかいないでしょう。
企業が設備投資するのは、余剰利益をなお拡大再生産に回そうとするもくろみから
です。需要があるからつくるんではない。需要がなくてもつくる。もはや、「神の見
えざる手」による調節機能は働かないのです。
2.時代が求めているもの
社会主義が生産関係によって破綻したように、資本主義は自然の収奪により崩壊す
ると言われています。化石燃料の石炭、石油はもうその域に達し、ウランもまた同じ
道をたどることでしょう。
この文明社会において、エネルギーを使わないということはできません。しかし世
論はいま、無駄なエネルギーは使わないという方向に向いつつあります。ないから使
えないんじゃない。あるけど、使わない。これは粋な暮らし方であり、成金主義の対
辺にあたります。
時代が求めているものは、エネルギーの供給を増やすことではなく、需要を減らす
ことなのです。
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