1988/10/30  20km、1時間49分46秒 綾・照葉樹林マラソンに参加。
目標タイムが1時間50分だったから、どんぴしゃりのタイム。
最初からゆっくり走り、後半落ちてきた人を抜いていった。それでも後半5kmはバテた。
走りながらコップで水を飲んだし、スポンジは使ったし、気分は一流選手

1993/10/31  20kmの部参加。タイムは1時間46分33秒。これは20kmロードレースの自己新記録。
スプリットは5km毎に、27分47秒、26分06秒、25分39秒、26分59秒。
最初の1〜2kmの入りが極端に遅く、途中でピッチをあげる。息は苦しくなかったが、ラスト2kmは足が上がらなくなった。
ここ3週間、全然走らなかったのがひびいている。(ラスト2kmは10分56秒)でも考えようによっては、練習不足でこれだけのタイムは出来過ぎか。できれば1時間45分を切りたかったが、やっぱり入りの2kmを自重しすぎた。
疲れた時、ピッチピッチと口の中で言って走るとペースが戻った。
串間に帰って、2000mのダウンジョグ。

1994/10/30  今までで最悪!! 1時間57分38秒 227位 
5km毎のスプリットは、27分59秒、27分02秒、28分28秒、34分08秒。
完全にガス欠。15km手前からだんだん力が入らなくなってしまった。
残りの5kmはJOG&WALK。斎田氏と臼崎氏にも完全に取り残された。
青島・太平洋マラソン・・・どうしよう・・・不安だ。
家に帰って餌切れ状態。ビールも飲めぬありさま。

1995/10/29  第9回。20kmの部出場。2時間05分15秒。一般男子40歳台で275位。
5km毎のスプリット、30分40秒、29分56秒、29分00秒、35分41秒
左手、左肩痛が治らないまま出場。案の定、思うように走れず。ゴールタイムを2時間に設定。
でも残り5km過ぎで、極端にスピードが落ちる。残り2kmの給水で歩く。それ以後はメタメタ。

1996/10/27  10回記念の今年からハーフの部になる。2時間01分19秒。285位
夏以降ほとんど走っていなかったので、入りを極端に遅くする。
臼崎氏と18km地点まで併走。ラスト3kmでばてて置いていかれたが、まあ、こんなものだろう。
33歳の公務員のかたがゴール手前で、心不全により亡くなる。気をつけなければ。

1997/10/26  第11回。ハーフの部出場。2時間15分59秒。337位。
2月以降、全くといって走ってなかったため(月平均走距離5Km)最初から走りきることのみを目標に出場。済田氏(註;私の従兄弟)や臼崎氏(走友)、それに妹にも負ける。でも、当然といえば当然。
何とか走れたのは15Kmまで、残りはメタメタ。練習不足でも何とかなるものだが、これからは心を入れ替え、青島を目指そう。


綾照葉樹林マラソンについて

毎年10月の最終日曜日に、宮崎県東諸県群綾町で開催される。
競技種目は5km、ハーフマラソンの男女年代別と親子ペア5km。
1996年開催の10回大会より、今までの20kmの部がハーフになった。
ハーフの部は、綾の大吊り橋からの片道コース。
最初の7kmほどが下りになるので注意が必要。
第10回大会の総参加者は6,000人