家にある古い写真を整理していたら昭和10年代と思われるえびの市(旧飯野町)を写した写真が10数枚出てきた。絵はがきになっており、おそらく出征している兵士に故郷の様子をしらせる便りに使われたのではないかと思われる。順次公開してゆきます。
現在と半世紀以上前の変遷を写真でたどってみた。変わらぬ山の形と周囲の風景の変化を見比べると興味深い。

 

飯野小学校の運動場。センダンの木が茂り周囲には何もなく韓国岳がまともに見える。

センダンの木は残っているが、運動場の向側にえびの警察署があり、鉄塔などで韓国岳も見難くなっている。

えびの市からえびの高原への途中にある白鳥神社、10世紀、性空上人が六観音堂で修行した際開山したと言われる。慶長六年(1601)に神殿が建てられ、その後火災で焼失したが、文化六年(1809)に再建されたのが現在の本堂。昭和61年に部分的に改修された。戦時中は出征兵士の無事を祈る参拝者が詰めかけた。雨にもかかわらず、大勢の人が参拝している。

改修された本殿は現在も原型がそのまま残っている。正月の初詣や例祭を除けば、殆ど参拝客は見られない。えびの高原への観光客も立ち寄る人はいない。

白鳥神社への参道口。麓から約5`の道のりを徒歩か馬車で来たのだろう。此処から210段の石段を登って本殿に辿り着く。参拝の前後に大きな杉の木下で一休み。

参道入り口や大きな杉の木は昔のまま。現在は定期バスが通っており。本殿までは自動車で乗り入れられる。石段を利用する人は殆どいないだろう。

飯野町の商店街。のぼりが立ち魚屋、肉屋、呉服屋、金物屋、雑貨屋などが軒を連ね賑わった。奥に役場の大銀杏が見える。

道路は舗装拡張されたが、殆どの店がなくなり、残っているのはスーパーマーケットなど数店。人通りも少ない。奥の役場の大銀杏だけは健在。


飯野町役場の正門

合併でえびの市となり今は飯野出張所、門柱が変わり、庁舎も改築されたが、大銀杏は昔のままに健在。

400年の大銀杏は周囲がコンクリートで固められているため樹の勢いが弱り、2003年に周囲のコンクリートを剥がし、砂利を入れ雨水が地面に浸透するようにした。このため、門柱は東に移動された。

飯野橋上流の灌漑用の飯野いぜき、まだ丸太の木材で作られている。正面の亀城公園の三つの山型の白い崖がはっきりと見える。

戦後、いぜきはコンクリート造りになり堤防も拡張された。亀城公園の白い崖は崩落し、木が生い茂り消滅した。

飯野小学校の正門。周辺は田んぼで道路も砂利道。左手の大きな屋根は講堂。戦後火事で焼失した。

周辺の田んぼ宅地になり、道路の舗装され、校舎も改築された。右手には飯野中央公民館がある。