遺跡は石の芸術         アンコールワットの人々       ちょっとだけタイ

1月1日からアンコールワット遺跡を訪れた。12世紀から13世紀にかけてカンボジアのシェムリアップ地方で全盛を迎えたクメール王朝はやがて衰退の一途をたどり、いつしか人々の記憶から消えていった。しかし、忘れられた都はジャングルの中で生き続けていたのである。
  1960年、この地を訪れたフランス人の植物学者、アンリ・ムオのアンコール遺跡発見によって、一躍注目を浴び1863年にカンボジアがフランス領になってから遺跡発掘および調査・修復が行われアンコール王朝の全容が明らかになった。独立後、内戦によって遺跡の荒廃を余儀なくされたが、1979年にユネスコの世界遺産に登録され、世界各国の援助で修復作業が行われている。
多くの遺跡の中でもっとも有名なのがアンコールワットで、その周辺に約300の遺跡が点在し、正確には「アンコールワット遺跡群」である。
左はアンコールワット遺跡群の配置図、シェムリアップの町から車で10分程度で遺跡群の入り口につく。あまりにも多くの遺跡群なのでここではアンコールワットとアンコールトムだけを紹介する アンコールワット遺跡群の見物には顔写真入の通行証が必要で首から紐で提げる。。1日券が23j、3日券が43j1週間券が63ドル。各遺跡共通で入り口で係員が提示を求める


(アンコール ワット)

遺跡群の中でもっとも有名で、遺跡群の代名詞となっている。アンコールとは「王都」、ワットとは「寺院」のこと。ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神を祀る寺院、そして王の墳墓として建てられた。すべて石造りで、左右対称の巨大な寺院はクメール建築の最高傑。周囲は環濠に囲まれており、中には参道や回廊、中央塔、そして回廊の壁には緻密な壁画があります。  

正面入り口から参道が続く。世界中から観光客がやってくるようになり、6月から9月までは雨季で
観光客は減るが年間95万人が来るという。最も多いのが韓国、ついでフランスなどヨーロッパから
だそうだ

北側の池に全貌が写り、最も美しく見えるビューーポイント

周囲の回廊には壁画が刻まれている


回廊のところどころには神像が祭られている

中央の塔の階段。30bの高さで約60度の急斜面
鎖につかまって恐る恐る降りる。周囲は見物客で
いっぱい。うまく降りると拍手が沸く。

こちらは登り。のぼりは比較的易しい。上りがは
よいよい下りは怖い。高所恐怖症の私は敬遠



アンコールワット遺跡はは西向きに立っており、朝焼けをバックにシルエットが浮かび上がる。
日の出前の光景が売り物になっている。残念ながらこの日は雲が多く、この程度の朝焼けしか
見られなかった。日本の春分の日(3月23日)中央の一番高い塔の後ろから日が昇り、もっとも
美しい光景が見られると言う。

午前5時半から夜明けの光景を見ようと大勢の観光客が詰めかけ日の出を待ったが、残念でした
こればかりは自然現象で「仕方がない」と・・・・・がっかり。


(アンコール トム)

アンコール・トムとは「大きな街」という意味で、まさにその名のとおり一辺3kmの城壁に囲まれた大型の城塞都市です。
アンコール・トムの内部は中央にバイヨン寺院、そのバイヨン寺院の北に王宮や美しいテラスなどの遺跡群があります。
  時の王、ジャヤヴァルマン七世はベトナムのチャンパ軍によって破壊された王都を再建し、仏教による「神都」として
再生させました。  

アンコールトムにある5つの門のうち南側見ある南大門。参道の左右の欄干には
石像があり、門の上の4面に観音菩薩像がある。

バイヨン寺院でのご一行様の記念写真。バイヨン寺院は12世紀末に建てられた
アンコールトムの中心にある仏教寺院。石造の4面に観音菩薩が刻まれている。


バイヨン寺院の回廊は狭くて迷路のようになっている


バープォン遺跡
 11世紀の半ばに建てられたヒンズー教の寺院


ピアヤナカス遺跡
 王様や家族の宮殿である。彫刻などは
多くが破損しているが、アンコールトムの最もタイ場所にある。


ライ王のテラス
 壁面に無数の神像が彫刻されている.テラスの
上にはライ王の彫像が安置されているが、これはレプリカである。


象のテラス 長さ35メートルに渡り象が彫刻されている。
王様の謁見に使われた。

遺跡は石の芸術